会長挨拶
ライン


拝啓
日本のCuleの皆様

この度、日本から我らがバルサを応援し、そして語り合おうという趣旨の元、昨年F.C.Barcelona公認のPenya日本支部(バルサ公認Penya登録番号1544)を発足致しました。
このPenya"F.C.Barcelona Japan"について少し説明させていただきます。

1992年5月20日。この日は勿論Culeの皆様には忘れることの出来ない特別な日、Wembleyでバルサがサンプドリアを破り欧州王者を勝ち取った日です。(延長の111分、クーマンのFKがゴールを突き刺したあの名場面です)そしてこの日は私にとってはもう一つの思い出の日でもあります。それは私がバルセロナに降り立った日でもあるのです。74年W杯のクライフに憧れサッカーを始めた私にとって子供の頃からの特別な存在であるバルサのある町。まさにバルサ最盛期のDream-Teamを生で見ることができるというこの上ない環境に身を置く事になりました。それから2002年の帰国までバルセロニスモを肌で感じ、ストイチコフ、ラウドルップ、クーマンに始まりペップのデビュー、ロマリオ、ハジ、ロナウド、フィゴ、リバウド、オランダ軍団。。。数え上げえればきりが無いほどのスター達のプレーを生で見、身近に感じながらあっという間に10年を過ごしていました。

シッチェスのカジノのスロットマシーンで私の隣に座って一番安い25ペセタ(実はせこいヤツなのか?)で夢中になって遊んでいたのがロナウドだったり、カンプノウ近くのグランビア沿いで駐禁を取られ警官に許しを乞うクーマンを見たり(実は情けないヤツ?)、娘の通っていた幼稚園の同級生がアモールの娘で、父兄会ではお互い照れながら一緒にお遊戯をしたり(実は子煩悩?)、結婚前のルイスエンリケの極秘デートを行きつけのレストランでよく目撃したり(結構色男?)。。。。という具合に本当にバルサが身近で、生活の一部になっていたのです。

これほどバルサ漬けになっていた私が、日本への帰国を決めた時、真っ先に考えたのがどうやってこのバルサを日本に持ち帰ろうかということでした。そこで、ある知人を通じてカンプノウ球団事務所を訪問しました。『日本にPenyaの存在はあるのか?』世界中に広がるPenyaネットワークですから当然あると思っていたのですが、意外にも返ってきた答えは『NO』ということ。そして、先方からは『日本でPenyaを作っていただけませんか?』という願っても無い要請があり、二つ返事で『Si!』と答えました。

設立にはスペインでの公式な登録手続き等複雑な作業が伴いましたが、半年がかりで公認登録を得ることができ、現在に至っています。

長くなってしまいましたが、これがPenya設立の経緯です。日本に帰ってからは、口コミなどによりF.C.Barcelonaを応援したい、F.C.Barcelonaを身近に感じたい、といった人たちを募り、その呼び掛けに応じてくれた皆さんの協力を得ながら今日に至り、日本におけるPenyaの活動を本格化させようということになりました。

日本からバルサを応援し、全国にいるファンのネットワークを広げ、そしてPenya自体を他のBig-Clubに負けないしっかりとした組織に育てよう!という趣旨の元、活動をしております。

VISCA BARCA!!

敬具

2004年10月吉日

Penya F.C.Barcelona Japan会長

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